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居酒屋ゆんむymm(You&Me&More)

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東日本大震災から5年が過ぎて

f:id:fftenbar4410:20160312142328j:plain昨日の3.11から5年目の昨日、お亡くなりになられた方々の遺族の方々には、悔しく悲しい思いが続いて居られるのだろうな❗と改めて感じて居ます。

津浪に飲み込まれた町、本当に惨状です。本当は住み慣れた場所に住みたい、でも怖い。自宅復興の資金はどうすれば良いのだ⁉お悩みは大きいと察します。自然災害のリスクは大きく、中々個人の力では対応しきれない部分が多いです。
東電絡みの避難地区の方々は保証問題も進んでいると聞いています。ただ今後の生活を考えたときに、矢張生活の出来る環境が必須に成ってきます。故郷が心地よく住まえる所なのか?他所に移ってきちんとした仕事は有るのか?問題山積みです。
やっぱり政府のサポートは欠かせません。
政府は例えば「北朝鮮からミサイルを原発施設にぶちこまれる」リスクまで考えて、原発の稼働を許可しているのでしょうか?
『想定外』と言うような言葉はもう聞きたく有りません。津浪に曝される可能性が強い場所への住居の建築許可のあり方も含め、自治体と政府の対応をお願いしたいものです❗

私は当時福島のいわき市小名浜に住んでいました。
たまたま会議で東京の本社に来ておりました。直ぐに車で帰りましたが、連絡も出来ず状況も掴めぬまま翌日のお昼に帰れました。
幸い会社も自宅アパートも無事でしたが、途中の家屋、道路の被害が物凄く、思考停止状態でした。
それからの生活もこれまた悲惨で、水、ガソリン(地方ですので、移動に欠かせません)、お風呂、食料、ゴミすべて今まで普通にしていた事が全部失われました。懸命で気付かなかったけれど、精神的にもストレスは有った筈です。
それでも人の励まし、援助に助けられ、会社の設備の復旧復興をしながら、次第に日常を取り戻して来ました。でも特に原発事故、津浪被害地区の方々はまだまだ苦労を重ねていらっしゃいます。
この流れの中、色々な経験もしました。発展途上国で体験した不自由さとは違う辛さ、このどさくさに紛れて余計な補助を受け取る企業、政府の情報不開示、色々体験しました。
これは今の私の意識にも深く関わって来ていると思いますし、これからの人生にも大きく影響していくのかな⁉と思います。
折角体験できた事は、世界が平等で平和で自由に過ごせるように微力な私もこの世の中で生きて行こうと、また今日改めて決意した次第です。
避難勧告地区は未だにこんな感じです。f:id:fftenbar4410:20160312142335j:plain